『月夜の森の梟』を読む 「老年期と思春期に違いはない」

作家が描く喪失の世界 小池真理子さんが「月夜の森の梟」で伝えたかったことを読み、作品、『月夜の森の梟』の存在をしった。
『月夜の森の梟』を読む|好書好日より。老年期と思春期に違いはない 小池真理子|好書好日を読む。
次のように書かれている。
若いころ私は、人は老いるにしたがって、いろいろなことが楽になっていくに違いない、と思っていた。のどかな春の日の午後、公園のベンチに座り、ぼんやりと遠くを眺めている老人は、皆、人生を超越し、達観しているのだろう、と信じていた。
しかし、「老年期と思春期」は同じではないかという考察にすすむ。

それは当たり前のことであり、時間には若い時間も老いた時間もあるはずはない。
当然のようにオトヅレル「私の死」は認識できず、ただ、それまでの時間がどの程度なのかがその僅かな違いだろう。
時の旅人にとって老年期、思春期の違いをしることはなんら意味のあることではない。

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