藤崎彩織『ふたご』

藤崎彩織といえばSEKAI NO OWARI の曲を特に好きというわけではないが、好ましく思いきいていてピアノ担当という認識しかなかった。ブログでは「文學界」に連載している『読書間奏文』について書いた。
その繊細な筆致に驚いた。

直木賞の候補になり、残念ながら受賞しなかった『ふたご』を読んだ。半分ほど読んだ後、久々の外出で電車の中で読み終えた。読んでいた環境のせいか、私は彼女の文に少し涙ぐむ。

今晩読み返すとどうしてそうだったんだろうと訝しむ。
いくつか印象的な描写があった。
P.43
家のガレージの匂いは、夜の匂いと似ている。
P.59
水彩画のような青空と白い雲が春の風に吹かれていた。吐く息がまだ白い。
P.103
壊れた自動販売機のように、目からぽろんぽろんと一粒ずつ涙がこぼれていった。
P.158
コバルトブルーの空に電線が何本もかかって、その上に鳥がとまっている。まるでピアノの楽譜みたいだ。
そうした彼女の言葉に対する位置づけは以下のとおり。
P.49
予期せぬ雨の中で、降り注ぐ感情の中で、私はいつもびしょ濡れになってしまう。身を守る屋根を見つけなくてはならなくて、それが私にとっては言葉なのだ。

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