与謝野馨『全身がん政治家』

がんサバイバー 与謝野馨著「全身がん政治家」を読んで。を読み、与謝野馨『全身がん政治家』文藝春秋を読んだ。最初は前立腺がんについての話だけを読んだが、それ以外の部分も読んだ。がんに対して与謝野さんの向き合う姿勢など参考になる記述が多かった。

まずは前立腺がんをどのように治療したかについて。

前立腺がん確定時(2001年)の年齢、PSAなど
年齢:63歳
PSA :6.63
グリーソンスコア:4+3
陽性率:4/8

2001年 12月より ホルモン治療(リュープリン)開始 7か月続ける
2002年 7月より 3D-CRTによる放射線治療 (1回 2 Gyで33回照射 計 66 Gy)

2012年 PSA再発 8.4 ホルモン治療再開

10年以上たって、PSA再発したことに驚く。

国立がん研究センター中央病院で治療したということで、角美奈子医師(現在、がん研有明病院 放射線治療部 副部長)の話で印象に残ったことは次のとおり。
P.93
療後の生活の質を考えた時に、これまでの治療履歴と副作用のリスクを考えて、泌尿器科で与謝野さんに放射線治療を勧めてもらったようです。
P.93
密封小線源治療はアメリカではすでに行われていた治療ですが、日本にはまだ入ってきていなかったので、渡米する必要がありました。
P.98~99
もし、与謝野さんのがんの悪性度を示す「グリーソンスコア」の数値が「6」だったら、つまり、低リスクのグループに入る前立腺がんであったならば、当時でも「渡米してこの治療を」と、もっと強く申し上げたと思います。そうすれば、膀胱にかかる線量が違ってきますから。
藤野邦夫『ガンを恐れず ガン難民にならない患者学』で藤野さんの経験、「それどころか何人もの医師や泌尿器科医に聞いても、当時は埼玉医科大学にいた杉本映一という放射線科医をのぞいて、だれひとりこの治療法(ブラキ)を知らない状態」ということは都内の病院では既に2001年の段階でなかったということだ。小線源治療適応可能で金銭的、期日的に問題ない人は渡米して治療を受けていたのではないかと思う。

以下がんに向き合うことに関していくつか引用する。まず、最初は主治医の込山元清医師に外来で言われた言葉
P.223
「私もいろいろがん患者さんに接してきましたが、与謝野さんみたいに冷静に、客観的に、自分のことを見られる人のほうが、結果的によい経過をたどるんですよね」
P.224
私は四つのがんと三度の再発、合計七回のがんを経験する中で、「病気を治す」ということに関しては、人一倍強く「治るんだ」と信じて治療を受けてきたと思います。しかしその一方で「患者であることに夢中になってはいけない」という意識も強く持ってきました。
ですから、私自身は何度もがん告知を受けても、できるだけ冷静に自分のがんと向き合い、時には病気であることを忘れ、ごく普通に暮らしてきた。それだけです。

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